【エッセイ】SMAPの歌が嫌いだ!私はNo.1になりたい

こんにちは、Ichi先輩@Abstract1Life)です。

今日は少し自分語り的なエントリーになってしまうのですが、まず早々に訂正しておくと、SMAPの歌が全て嫌いという話ではなく「世界に一つだけの花」が嫌いなのです。

NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly One

特にこのフレーズが嫌いなのです。私はNo.1になりたい

学校生活

唐突に自分語りを始めるわけだけれども、自分で言うのもおこがましいことだけれども、私は基本的に「要領が良い」と自分を評価している。

たいていの勉強も特にそこまで困ったことはないし、運動に関してもあまり困ったことなく、ほどほどにこなすことが出来る。ゲームで言えばオールラウンダー型のキャラクターだろう。

勘違いしてほしくないのだけれども、別に高慢な気持ちでこのエントリーを書いている訳ではない。自己評価が異様に高い人物はいくらでもいるし、「そんなのでは社会でやっていけないだろう」という卑下した眼差しで見てもらっても構わない。

ただ、私にとっては別に要領が良いということはそこまで誇ることではないと思っている。要領が良いのではなく、浅く広く拾っているだけだろうと言われればなかなか反駁の余地が無い。浅学であるかもしれない。

ただ概して今までの人生でそこまで浅学であることで困ったことはなかった。

でもどこか満足できていなかったのは、私が「No.1」に憧れをいだいていたからである。何度もゲームで例えて申し訳ないのだが、オールラウンダー型のキャラクターはたいていの場合、特化型のキャラクターには勝てない

ステータスを攻撃、防御、素早さ、魔力、もしくは特別なスキルに偏らせて割り振った方が明らかに使いどころがあるし、特徴が際立つ。私は大体のことが平均点以上にできるが、No.1ではないのである。

けして努力しなかったわけではないけれど、色々自分なりにやってはみたものの、No.1にはなれなかった

No.1とOnly One

ここで冒頭の歌詞を思い出してもらいたいのだが、全く意味が分からない。いや、言いたいことはよく分かるんだけれど、誰かの助けになっている歌だということも分かるんだけど、現代の日本には全くふさわしくないと思う。

とりあえず、まず初めにそれぞれの言葉の関係性や意味を確認しておこう。No.1は言わずもがな、何かで最も秀でていることを指すだろう。Only Oneは、他とは違うこと、つまり個性的であることを示している。

この定義チックな考えに当てはめて私のことを考えてみると、「要領が良い」といういうことは、ある意味個性的な側面もあるが、要領が良い人物はいっぱいいるので、特にそこまでOnly Oneということはなさそうである。No.1に関しては言わずもがなである。

つまり、ただ要領が良いだけということはよく考えてみると、No.1でもOnly Oneでもなかったのである

歌詞の内容に戻ると、この歌詞の中で言いたいことは、「みんな全く同じ人なんていないんだから、個性は人それぞれでNo.1にならなくても大丈夫だよ!」ってことなんだろう。しかし、日本では、教育によって没個性を強いられる。前へ習えである。

個性を求められるのは、「進学」と「就職」の時だけだ。そこでは、如何に自分は他の人と違って個性的な活動をしてきたのかを語り、翌年には会社でまた没個性的な仕事を強いられることになるのだからこれまた笑い話である。

しかも個性よりよっぽど重視されるのが優秀さであり、「No.1」寄りのファクターなのである

つまり、Only Oneな自分は教育や社会によって封じらる傾向にあって、Average以上が優秀であると言われる。Only Oneでは大丈夫ではないのだ

この歌は「自分は個性的だから大丈夫」だと思っている人に、まやかしの優しさを差し伸べるけれど、その効果はほんの一時的なものだ。だから、私はOnly OneじゃなくてNo.1になりたかった。

自分には無いものを求めたかったのである。

研究者としてのNo.1

「要領が良い」だけの私がお手軽にNo.1になるために選んだのは、「研究者」としての道である。研究はその分野のNo.1ではないと、世の中にその結果を公表できない世界だ。

だけれども、その分野はいかに狭い世界でも構わない。むしろ狭い世界の方がNo.1になりやすいだろう。

ただし、徹底的にその分野のことを調べ上げ、世界で1番そのことについて詳しくある必要がある。だから私はその世界に身を置こうと思って日々研究活動を行っている。しかし、研究の分野はNo.1なだけではダメだということが分かった

研究者に必要な能力として挙げられるのは大きく分けて3つだと思う。

  • 1つ目は忍耐力
  • 2つ目は要領の良さ
  • 3つ目は独自性

研究者、特に若手の研究者はたくさんの研究業績を作る必要がある。たくさん研究業績を作るためにはたくさん研究をする必要があるのだけれど、世界で初めての試みを行うわけであって、それはつまりたくさん失敗することを示している

研究にも分野によって種類があるが、一般的なのは実験研究だろう。研究をする前には徹底的に研究計画を練って、そのために膨大な論文を読むことになる。それでも失敗するから、それはそれで面白いんだけど、なかなか原因が分からないと心身ともにとても疲弊する。

それでも始めたからには結果を出さねばならなく、延々と試行錯誤することになるため、忍耐力は相当に求められることになる。忍耐力はNo.1になるために必要である

要領の良さについては、「研究」ということを学ぶ段階で持っていると、とても便利ということであって必須ではない。学部の段階ではほとんど研究に触れることはないし、修士も2年間である。

博士からはほぼ自立して研究することが望まれるために、修士の時点で「研究」について学習が完了しているのが好ましい。

そして独自性についてだが、研究は他の人と違った観点に注目して独自の分野や研究テーマを見つける必要がある。そもそもNo.1になるためにはOnly Oneな分野を先に見つける必要があったのである

大学院生に関してはそもそも所属している研究室の先生がOnly Oneな分野を既に見つけているので、心配ない。大抵の場合、大学院生は所属している研究室で扱っているテーマを扱うことになるからである。

余談になるが、たまに社会人枠で入学する人がいて、そういう人は大体研究したいテーマを引っ提げてくる。だけれども、引っ提げてくるのは理想的で大きすぎるものがほとんどで、現実を全く分かっていない。

現場を分かったような気になって、我知り顔なのだが、研究としてすぐには成り立たない。

知りたいことを知るためには、それを知るために必要な質問紙を作ったり、基礎実験をする必要があるし、その質問紙を作るのにも、基礎実験をするためにも、さらに基礎的な研究が必要である。

石の上にも3年とか、3年は同じ仕事を続けろという言葉はよく耳にするが、ただ単にその場所に留まった年数だけでその人物を判断する風潮は理解しがたい。

私も研究について我知り顔でこうして話しているが、何か間違ったことを話していたらご指摘いただきたい。研究に関しては客観的に考えているけれど、ブログに関してはついつい主観的になってしまう。ブログの良いところでもあり、悪いところでもある。

べらべらと話したところで、本題に戻るが、独り立ちして研究室を構える際にはテーマを見つける独自性が必要になるのである。私はNo.1になりたかったのだが、Only Oneになる必要も出てきたのである

哲学としての個性

こうして語ってきたのだけれど、私は今まだ大学院生だからこの先の話はまだ持ち合わせていない。No.1になろうと思ってこうしてきたけれど、今更になってOnly Oneになれるだろうか?

ふと思い出す言葉の中に「ミーメーシス」という言葉がある。

これはギリシャ語で「模倣」という意味だが、細かく意味合いを説明するのであれば、「本質なるものの強化的な再提示・再現・再生」を表している。

この考え方は主にプラトンの「国家」におけるイデア哲学の中で用いられるが、簡単に説明するのであれば、神が作ったモノの「イデア(本質)」を我々はミーメーシスしているということである。つまり、全ては模倣なのである

個性的であろうと思っても、全ては何かの模倣にすぎない。「学ぶ」という字を辞書で調べたことはあるだろうか?調べてみると、学ぶ=まねぶと出てくるはずである。まねぶというのは真似をすることであり、模倣である。

科学者としてはアリストテレスの「本質などというものは無い」という哲学の方を優先すべきなのかもしれないが、私はこれからもどんどんと模倣していきたい。

そう考えると、なかなか最初の歌詞も意味深いものになってくる。No.1とOnly Oneを再定義する必要があるかもしれない。試行錯誤を繰り返してみよう。